謁見の間
謁見の間
宮門跡として明治まで代々皇族や摂関家が門主(住職)を務め、時の天皇の仮皇居ともなった格式高い寺院であり、本山修験宗の総本山。それを証明するかのように、境内は狩野派による豪華絢爛な障壁画に彩られています。
大玄関から上段の間まで続く金碧障壁画には花鳥や賢人、また雄大な自然が描かれています。また、廃仏毀釈の際には廃寺となった末寺から本尊を預かったため、現在も多くの不動明王像が安置されています。後水尾天皇が女院のために建てた優美で繊細な書院は御所から移築されたもで、3年間の修復を終えてこの度、公開される。
宸殿には狩野山雪の子、狩野永納と、狩野探幽の養子、狩野益信による金碧障壁画100余面が納められており、緑青や朱を使った迫力溢れるものから、墨を主として描いた落ち着きのあるものまで、幅広く描かれています。
聖護院は、明治の廃仏毀釈の際に廃寺となった末寺から預かった不動明王像を多く安置しています。本堂に安置されている不動明王像は平安後期の作で、聖護院の数度の火災を免れ、守られてきた。
後水尾天皇の女御が使用していたと伝わる書院は延宝4年(1676)に聖護院が現在の地へ移転してきた時に御所より移築された。障壁画が残る二室には、当時としては非常に高価であったガラスを花頭窓に使用するなど贅がつくされている。違い棚周辺には豪華でありながらも緻密な金細工がされていることや、釘隠しに折り文や七宝を使うなど、女性好みの志向が凝らされている特徴がある。3年間の修復を終え、今秋一般公開される。
美しくよみがえった書院の外観や違い棚の透かし彫りなどの意匠を、朱色の布に手捺染(てなせん)と呼ばれる伝統的な技法を用い、京都の職人が手作業で金色に染め上げました。 明治までは聖護院の南側に聖護院村があり、鴨川にかけてうっそうとした「聖護院の森」が広がっていました。この森の紅葉は錦の織物のように美しいため「錦林」と呼ばれ今も地名として残っております。また、その美しい森の中にある御殿であることから、聖護院は別名「森御殿」とも呼ばれています。この特別朱印の「森御殿」の文字は聖護院御門主 宮城泰年猊下の揮毫によるものです。 授与期間:令和5年10月7日(土)~ 無くなり次第終了 志納料 :¥1,500
役行者を宗祖とする本山修験宗総本山。寛治4年(1090)、白河上皇の熊野御幸で護持僧を務めた増誉大僧正に、「聖体護持」から2字をとった聖護院を与えられたことに始まります。代々、皇族か摂関家が門主(住職)を務め、天明の大火により御所が火災に遭った際は、光格天皇の仮皇居ともなりました。総本山として、法要の際は全国から多くの山伏が集まり、大規模な護摩修行が勤行されます。
宸殿と本堂
本山修験宗総本山 聖護院門跡 〒606-8324 京都市左京区聖護院中町15
京都駅から約25分、阪急河原町駅から約10分。特別公開中は境内駐車不可。
Shogo-in Temple is the headquarters of "Shugen-do", a harmonious religion of Japanese-made Buddhism and mountain (or other animism faith) worship. This temple has been known as "Miya-monzeki" since many people from the royal family served as chief priests. In buildings, you can see about 130 pictures on the sliding door decorated with vivid colors and gold-leaf backgrounds.They are painted by the Kano school's painters in the Edo period. The buildings "Shoin" transferred from the Kyoto Imperial Palace(Kyoto Gosho) and a considerable number of Buddha statues are also one of the highlights.